前略,クリスマスでした.
.
基本的には神さまに祈らない人間でして,でもパラレルワールドの自分や周りの為に祈ることはよくありました.
「会社を辞めただけのパラレルワールドでも,どうか絶望に打ちひしがれませんように,
周りに迷惑をかけずに,むしろ何かになれますように」
とかまぁそんなもんです.希望ね.あくまで希望.理想って言い換えてもいいです.
.
でさ,申し訳ないことに,基本的に自分どころか他人の幸せに関してもあんまり祈ったりしないんですよ.
隣で祈るひとの幸せを神に祈る暇があれば,その時間を使って自分が何かできるのではないか,
とかとか.
祈って世界平和が訪れるならいくらでも祈るけどさ.
.
どうでもいいですけど,
クリスマスなんて,キリスト教じゃなくて○○教が元だから,っていう突っ込みナンセンスだと思うんですよ.
それ言い始めるとキリスト教とは何かみたいな問題が発生するわけでして.
キリスト教とは,
新旧の聖書であり,
教会であり,
バチカンであり,
教義であり,
感謝祭であり,
クリスマスであり,
とかの文化の寄せ集めに他ならないのであり,
結局,寄せ集められていることそれ自体に価値があるのでは無いかと.
少なくとも,リア充をけなす傍らで,
信心深い層を傷つけているかもしれないということがあるのだな,
と聖人君子ぶってみます.
.
キリスト教・キリストやその復活を信じると信じないに関わらず,
キリスト教が無ければ,例え時間の中で改変・商業化されていたとしても,クリスマスは無いし,
クリスマスに何かをしていたり,下らない Tweet で男子力の低さを楽しむなんてことはできないわけで,
それだけでも,クリスマスとか,何かを信じることはとても有難いことだって,神父さんが言ってた.
……と,思う.……うろ覚え.
.
本題ですが,
神さまに何をお願いするのか問題.
25歳にもなってみれば,
自分や相手の過去に嫉妬したり,あるいは怖くなって泣き出したりなんてことがあってもおかしくなくって,
あるいは感謝したりなんてことをし始めてもいい時期です.
.
別に初めてに対する信仰だけで生きてるわけじゃないし,
そもそも自分に初めてなんてそんな残ってないかもしれないけれども,
他人の過去に嫉妬するということはよくあることで,
.
いろいろなものを嫉妬もされるし,
無かったら無かったで良かったのか悪かったのは,正直わからないけれども,
(まぁでもきっと18-19歳だったら絶対続かなかったでしょう,というのは誰しもが納得するところで)
だからといって単なるステップアップなんかでは決して無く,
昔好きだった人に,大切にしてくれた人に,その人が教えてくれたことに,その人を傷つけてしまって学んだことに感謝しているし,
性格も人格も,環境や人や偶然が与えたものであることは間違いないので,
まぁ調子乗って,頭の中お花畑で,恥ずかしく申し訳ないことばかりだったのですが,
.
僕が好きだったものに,僕をなすものに,感謝を.
どうかパラレルワールドだけでなく,この世界においても,僕を成したものが幸せでありますように.
.
お知らせ
あ,あと blog 移転します.記事を引き継ぐかどうかは検討事項.
envisioning.info っていうのを取得したので,たぶんそこになりますがまだ未定です.
Computer Vision とか IT の将来像とかもうちょっと技術的に深い内容を書くようにしたいと思います.
この Blog は,まぁ途中 Blogger からの移転とか,まさかのドメイン失効とかありつつも,2008年7月に始まったものでして,
確か Tech・Ed 2008 Yokohama の参加が決まったのをきっかけに技術 Blog とか書き始めたんですが,
あのホテル見る度に思い出します.世界は広いようでいて狭くて,やはりとてつもなく広いものです.
こんなに世界が広いなんて知らなかったし,たぶんまだまだ知らない世界が沢山あるのでしょう.
.
ともかく今はそんな感じです.
さむでい!